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10月11日 理解言いたいことは何かと詮索しながら読んでくれる人がいるようだ。そこまでしなくてもいいと言いたい。あまりマイナスのことは書きたくないし、むしろ書かないほうがいい。それでもそんな風に読めたのは、残念としか言えない。辞書を作ることの難しさ、むしろ辞書なんか作れるわけがないのではと思う自分は、言葉は危ない冒険だということを十分に分かっているつもりだ。それは正真正銘の諸刃の剣。自分を守ることもできれば、その一方で人ないしは自分を傷つけることはありうるはずだ。
だからやめる人はいまだかつて聞かない。だからこそやめてはならないのではないか。沈黙もまたそれ以上に多義的に捕らえられてしまいそうになるから。謙虚さ、傲慢、怒り、喜びとその可能性は無限にある。一人でやっていくのではなければ、どうしても交流が、人との接触が不可欠だ。それなら誤解の生じないよう頑張ればいい。
それは夢に近いことだ。自分が見えなければ自分を見失うことになる。かといって、自分しか見えないのも、自分を見失ってしまう。いずれの場合にも、自分をさがさなければならない時期がやってくる。それは今ではないだけのことだ。はっきり言わないことは、読者にそう見えているだけだ。書き手にとっては、十分分かりやすいことが書いてあることになる。そんな一方通行にとどまらないように、自分に問いかけ、または語りかけることが必要ではないか。
砂漠ライサーはタバコに火をつけて一服すると、見るともなく窓越しの風景を眺めた。雲ひとつない青空から一面に降り注ぐまぶしいほどのひざしだった。久しぶりのいい天気に、なんだか心もうきうきするようだ。その一瞬、反射的に影のようなものを思い浮かべた。 そうだ。あの時も絶望するほどのいい天気だった。大好きな母はいつも人魚の物語をしてくれた。そのせいか、家の近くの小さな公園にある小さな噴水が何よりすきで、お母さんの話では、こんな小さな噴水にも小さな人魚さんがいるそうだ。そのうちに、噴水ばかりを見つめるようになった。まだ小学生になったばかりの亮ちゃんは、じっと池の中を見ていては、信じられないふうに「人魚さんまだ?」と手をつないでくれたお母さんに聞いてみた。 「いるよ!きっと。それよりもアイス食べない?」そう質問されてはいつもアイスクリームを買ってきてくれたお母さん。結局アイスクリームに夢中になっているうちに、人魚なんかはすっかり忘れてしまう亮ちゃん。 それでも、今日はなんだかおとなしい亮ちゃんは、池から目も放さずに、軽くうんと頷いただけだ。 「じゃ、すぐ来るからね。」母はそう言って背を向けて行って。 その言葉は最後に聞くお母さんの声になるとは夢にも思わなかった。 いたっ!と思わず声を出したライサー。お母さんの面影を一生懸命思い出そうとしていると、タバコが燃え尽きそうとしていた。灰皿にすりつぶして、窓の外を見渡すと、取締役を務めるホテルの前の噴水が目に映った。みんなの反対を押し切ってまでこの噴水の建設に関わってきた。これだけ見ていると、なんだか心が癒せるようになる。 それでも、あの時の空はもっと青かった。あっという間に40年。七歳の小学生から白髪交じりのおじさんに。時間というのはどれほど不思議なものか。お母さんが教えてくれた話では、人魚は年をとらないそうだ。それでも自分だけがずいぶん年をとるのは、いったいどういうことなのだろう。そういえば、お母さんもいつまでもアイスを買いに行く時の笑顔だ。 川の流れのように、人生はもどることなく、先へ先へと流れていく。人生は舞台のようでもある。ほとんどのときは一人芝居。自分で自分を苦しめまたは自分で自分を楽しませる。これはほかの誰にもできないこと。そのせいで、自分のことでも別人のように感じてしまうことがあるのかもしれない。自分の中にもう一人の自分がどこかに姿を秘めて笑ったり泣いたりしているようだ。そう考えると、なんだか胸が躍るような思いを禁じえなくなる。 確かにいろいろあった。何よりもつい最近一緒に晩餐をとって帰りのタクシーで帰らぬ人となったその友だち。20余年間も親交を重ねてきたその親友が予告もなしに永遠に遠ざかっていくとは、今でも信じられない。彼はそこにいる。いつまでもそこにいる。困ったときに、うれしいときに、いつもいつでも。 10月9日 移ろい16年ぶりの声を聞くことができた。中学校の国語の先生からの電話だった。最初は誰かと思ったが、その瞬間、あっと思った。その先生と言えば、なんと言ってもまずは字がきれいだったということが思い出される。小さいときから字が汚いとさんざん言われた自分だから、字がきれいな人にあこがれていた。大学に入ってからも、習字に励んでいたにもかかわらず、家族への手紙の返信には、いつももっときれいに書かないと、いい仕事が見つからないぞとの忠告までもあった。それできれいな字を見ると、まねをするようにしてきた。
出身は同じでも、なんだか地方の言葉ではなく、共通語で話していた。その先生は子供が一流大学に入ったが、専攻のことで相談に乗ってほしいと話してくださった。祝福のあとに、自分なりの感想を正直に話した。そういえば、中学生だったころは、その先生には確かに幼稚園児ほどの息子がいたと思い出した。今はもう大学生だとは、なかなか信じられないような気持ちにならずには要られなかった。みんな変わっている。無論自分のほうも。
変わらないモノはない。同じようで違う毎日を迎えているのは、すこし不思議な感じがする。明日、来週、来年と考えるわれわれだが、振り返ってみると、自分はもういない。あの自分は違う人だった。これが繰り返されると、もう年だと感無量になるわけだ。自分の写真のコピーを取り、そのコピーでまたコピーをとるようにしたら、意外と何回かすると、自分の顔が真っ黒になる。これに比べて、一日一日と人間自身のコピーと言うのは、完璧にできていると言わざるを得ない。それでも、確実に変わりつつある。
10月4日 家族季節の変わり目のせいか、たまにはセンチメンタルになることがある。家族の大切さ、友だちの大切さを今更ながら再認識するような季節でもあるかのような感がする。
年をずいぶん取ってからも農事から手放しできず、無理をしてまで野菜畑を愛する親父、それがだめだと言いながら自分もまだ若いから大丈夫だろう大丈夫だろうと無理なまねをするおふくろ。責める立場ではないが、不孝だと知りつつも受話器越しに怒るようなふりをして説教を繰り返す私。息子への負担を最小限にしようとするその気持ちはわかっているつもりだが、それでも年は年だからと、どうか頼ってくださいと何回お願いしたことか。そのたびにうんうんと言っては返事をくれている。結局は一方通行に過ぎないと誰も分かっている。
お年寄りは子供だと言われているが、まったくそのとおりだ。そんな話を聞かない親父がこの間倒れた。過労だと言い切るおふくろに、なんと言ったら分からない。もともと持病があるから、今に始まった病気ではないことを何回説明しても一向に分かってくれない。食べたり、飲んだり、寝たりすることさえできれば病気ではないというその先入観に勝つことはできない。なにしろ、田舎ではこのような考え方が圧倒的な多数に支持されているから、どうしようもない。悪化しないうちになんとかできる病気を、いったん発症してしまうと、収拾がつかない手遅れになってしまうことが多いのは、農村の現状だと言わざるを得ない。
常識と戦うことはとんでもないほど多くのエネルギーのいることだ。体に気をつけてくださいという挨拶をするときに、本当に聞いてくれればいいと思うが… |
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