| SAMTAIME's profile真夏の夜PhotosBlogLists | Help |
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December 25 クリスマス今日はクリスマスというのに、まったくクリスマスという気配がしない。果たして欧米でもそうかなと不思議でならない。
要するに、大晦日を大事にしすぎて春節を捨てるというような形。本当はこちらのほうがもっと大切だろうに...
なんとなくまた説教っぽいものを始めてしまったような気がして...それに、この一年間でずいぶん老けてきたように思われる。それでも、何かはっきりしないものがなかなか去らない。何かに追われて、流されているかのような感じもする。
その何かとは、生活そのもの?夢?...それともその以外の何か。
なんだか自分に総決算を迫っているみたいだけど、一年の終わりというクリスマスも自分のためにはないのに...
...
December 24 Nomunicationそのノミュニケーションがしばらく前より消滅したと言われている。確かに、個人的にそのようなものは消滅したように感じられる。では、消滅した理由は何であろうか? 一説には、最近の若者が誘ってもついて来なくなったというのがある。「せっかく、上司の俺が誘ってやっているのについてこない。最近の若いものは・・・。俺の若い頃は・・・」ってやつである。 はっきり言おう、ついてこないのは若者が悪いのではなく、誘う側が悪い場合が多い。 原因は、大きくわけて3つある。 2.勘定が割り勘。 3.飲み屋をスナックとか自分の好みで選ぶ。 分かりやすくこれらを組み合わせるとどういうことになるか、シミュレーションしてみると、「上司が飲みに誘ってきて、断りきれずに付いていくと、上司の行きつけのママ(オバサン)がいるスナックで、上司風を吹かせながらママにいいとこを見せようと、自分好みの話があうホステスもいないなか永遠に続くような駄目出しと説教をされた挙げ句に割り勘で払わされる」というようなことが起こる。 まさか、そんな話は無いだろ? と思う人もいるかもしれない。が、これは実際にあった話である。そんな誘いに誰がついていくんだ? 付いていく人がいるならば見てみたいという感じである。
http://www.jiyu.co.jp/singo/ Try and open it !For it'll benefit you ! Merry X'mas!今日もクリスマスイブだ。 朝からもラッシュがすごくて...いや、間違えてしまった。昼ごはん(とは言っても午後2時は過ぎている)に行く途中、三環道路は長く続く進まない車の列。さっきも地元の出身であろう運転手がクリスマスに猛烈に批判をしていた。中国には伝統的な春節があるのに、わざわざ西洋人の節句を祝うなんて、けしからん。しかも、規模もそれを上回っているとは... 西洋の節句が確かに増えてきた。クリスマス、バレンタインディー、父の日、母の日、ハロウィン、感謝祭...そのたびに、友達同士、恋人同士などが盛んに祝うのだ。それは別に良くも悪くもないことと思う。なぜなら、物質的豊かさが充実するとともに、人間の気持ち、心のほうもだんだんと豊かになってきている。それらをきっかけに大いに祝うということは、実にすばらしい。幸せを、喜びをみんなで分かち合うほど、楽しいことはない。 難しいけど、愛や友情の光を浮かべながら、幸せという雪がふわふわ、ふわふわと降り続くよう心ながら小さなお祈りをささげる ! December 23 年末タクシーに乗っていると、M先生からの電話があった。急用があって直ちに言事務室へとのことだった。
その先生は、なぜかわからないが、最近となって、急にもったいぶってきたように思われる。こちらは逆らえる立場にはないので、なるように任せようというつもりで当たっていた。
逆らうようなことはしない。人間関係って、妙に角立つ時がある。それはそれとしていいと認めている。かといって、やたらに追従したり、心にもあらぬことを言い出したりするのは、自分ながら、したくないということは、はっきり分かっている。そんな細かいことにいちいちエネルギーを発散していたら、自分に損を招くだけだから、いろいろな状況に備えて、それなりに打つ手を考えておいていたら、戸惑うこともなくなるし、しっかりと対応することもできよう。
明日は明日の風が吹くというかっこいいことわざがあるが、それは本当にできたら、たいしたもんだと思う。確かに周りにもそのような趣旨を貫いて生活をしている人がいるのだ。
ふと見上げたら、時計の針が明日をさそうとしていることがおおいが、今晩はずいぶん余裕がある。じっくりと、2005年の残り少ない日々を味わうこともできよう。センチメンタルかもしれないが、紀元2006年が迫ってきていることに、嘆くばかりではなく、新たな望みも見え隠れするような感じ。
そう、新たな旅へ立とう ! December 22 友よ友よ、その昔...
という歌のメロディがいつごろからともなく耳のそばを流れるようになっている。長渕剛の曲だった。
なんだか意味ありげな曲で、心に焼き付いてきた。具象は浮かんでくるというわけではないが、
親しみを覚える、心を癒してくれそうなものだと思う。
名にそれとお思いになるかもしれないが、誰でも独り占めしたい、大切なメロディや、ロマンチックな
想像や、その人ならではの感覚というのがあるはずだ。
赤が情熱を象徴して好きだ、黄色が元気で好きだ、などなど...正しくも間違ってもいない。
中身は何であれ、自分なりに楽しむことさえできれば、それで十分だ。
だからこそ、同じようなせりふを気に入っている人と案外に意気投合になったり、同じドラマのシーンで
笑える人と馬が合ったりすることがあるのだ。
共鳴とでも言おうか。個性とかが声高に強調されている中、同じ趣味、同じ志の人に出会うということは、
奇跡と言っていいぐらい求めにくいことだ。
何時ももっともらしいことしか言えないが、いつでも結論とかを出さなければならないのだから、それは
それでいいのではないかと思って、あえて毎日のように楽しんで書いている。
:)
December 21 期末試験今日あるクラスを対象に、期末試験を実施した。
15課ある教科書から、わずか2課を範囲内に設定したものだった。さっさと終わってくれるかと思ったが、日ごろの放課時間をいっぱいに、学生たちの緊張した面持ち。
まじめに答えてくれていると思って、うれしく思った。ただ、誤解しないでほしい。みんなの困惑した顔を見てうれしくなったということでは決してないのだ。
自分も社会も知らないままずっと学校から学校へとやってきた学生のつもりでいる。キャンパスを歩いていると、たまには初めてこの大学にたずねてくる人に出会うのだ。そのたびに、「あのう、この学生さん...」と言われているし、学内のスーパーで並んでいるときも、「その学生さんは、ちょっと待っていてくれ」と声をかけられている。
不思議なことに、このようなことが重なっていても、なんとも不思議に思ったことは、一度たりともない。その反面、ふと教え子の誰かさんに「先生」と呼ばわりされると、なにかと不自然なように感じてしまう。教壇に立つこと三年になるというのに、教師という役にはなかなかなり切っていない。
小学校の先生のことをいつでも思い出している。村の小学校だから、先生たちもほとんど汪という名前だった。この先生方に合うごとに、「汪先生」と恐縮しながら読んでいた。
そして、以降十何年の歳月を重ねて今日、自分の学生からの「汪先生」という呼び方は、どうもそのときの自分の声に重なってしまうので、いささか違和感を感じないでもない。
そのせいか、今だにその呼び方を気にしてならない。
ずっと学生のままでやってきた自分だから、つい学生という役を意識してしまう。何かを教えようとしても、こんな説明で伝わるかと心配してならない。このままでいいのかと反省することも少なくない。
というのも、今からどんどん遠ざかっていった大学時代の先生から何を教えていただいたのかを思い出そうとしては、なんともあいまいな記憶しか出てこないのだからかもしれない。
人間ほど、忘れっぽい動物はいない。 December 19 真冬へあっという間に真冬だ。常套だけど、やっぱりこの表現が一番だと思う。
なんだか時を旅しているような気持ちもする。日ごろから旅行がしたいと
願ってならないながらも、なかなか実現しそうにないとは感無量なのに...
旅の恥はかき捨てということわざがあるが、旅ともなると、平日おとなしい人、
内気な人も、意外と興奮してしまうことがよくある。もちろん、その反対も
よくある。場所しだいでは、人間がどんどん変貌を遂げていく。
でも、人を変えさせてくれるのは、独り場所だけではない。時もそうだ。
日ごろよく眺めるチャンスのある人も、時々刻々変わりつつあるのは、
久しぶりに会って初めて「痩せたね」とかという言葉から察することができる。
この目に見えない旅、自分ではなかなか気づくことのできない旅...実は何もかも
変わってしまう旅、これは旅じゃなくてなんだろう。
もし、「何もかも」という言葉をきざに思うなら、自分自身のことをよく省みてください。
物心がつき始めたころの自分、小学校の自分、そして中学校、高校、大学とやってきた自分、
更に今の自分、どれが本当の自分なのか。
どれも本当の自分ではない。かといって、どれも本当の自分だ。
写真や好奇心、安堵感などをもって飛行機や列車での旅を楽しむと同じように、
よき時の旅人たらんがためには、今という瞬間、時計で刻まれるこの一刻一刻をきちんと
行きようではないか。
たとえそれが悲しみでも、苦しみでも、つらくても、悔いることのないように送っていたら、
それもいつしか幸せと振り返れる日が訪れることだろう。
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