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    December 17

    いい日旅立ち

    ふけた。鏡を覗き込むたびに、そんな感じがする。睡眠不足のせいかも。とは言いながらも、そんなはずがない。時間がいっぱいあるから、休みたいときに休めばいいじゃないか。ただし、休みは単に時間と単純に結びつけたらいいというものではなく、いろいろな条件が満たされないと、簡単そうなことでもなかなかそうはうまくいかない。眠れないというわけでもない。じゃ、なんなんだとお怒鳴りになりたい次第なのかもしれないが、どこかの海辺の別荘に引きこもり、一年間以上ものんびりしていたい、という気持ちになることがある。
     
    大隠は市に隠るとはよく言われるが、大隠ではない上に、長らく市にいると気が違いそうになるから、なかなか実践できない処世訓。新鮮な空気でも吸いたいし、渋滞、通勤時間、きざなことなどと戦わずに済むところであれば、どこでもいい。10分でも落ち葉が下敷きになった田舎のくねくねした道を歩いてみたい。そう、授業の休憩時間みたいに。なんだ、また来たか、教師根性。
     
    一昨年のこの時期に、杭州への一人旅に発った。肌寒い風と薄い雨の中を、西湖のほとりを歩いていた。何も考えずに。耳には繰り返しの一曲、菊花台を流していた。そんな悠然たる気持ちでずっとずっと歩いていた。永遠のように。好きな景色があれば、気軽にシャッターを切ったり、ベンチがあれば座ってみたりと、まったく時間とは縁のないすごし方。何時になったら何をしなければならないか、いつまで赤信号とにらめっこするのか、夕食はラーメンにするかチャーハンにするかなどは、まるで別世界のことだった。そんな中で歩いた長い長い山道も、お茶の植わった段々畑も、今ながら覚えている。ある有名人の故居でも、体をひらひらさせながら泳ぐ鯉の池にどんなに引かれたことだろう。
     
    冬のこの時期は、旅行の季節なのかもしれない。
    December 16

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    年末でもあり、期末の大詰めにもあたる時期を迎えている。違う人には違う意味合い。サラリーマンには一年の目標達成やボーナス、公務員には新年会、学生には試験に次ぐ試験、田舎の人には思う存分のマージャンゲームという構図になるようだが、教師にはまた別のことを意味する。なんと言っても出題。あまり難しくてはだめ、やさしすぎてもよくない。多かったり、すくなかったりもいけないし、適当に自分の判断に任せるしかない。これは至難の業としか言いようがない。
     
    そういえば、クリスマスも着実な足取りで迫ってきている。ショッピングセンターでサックスフォンをいじりながら踊るずんぐりむっくりのサンタ、こぢんまりした喫茶店の入り口のクリスマスツリー…ホワイトクリスマスの期待だが、雪はない。この2,3日ずっと見ているERには、雪合戦のシーンが何回も何回も繰り返されている。ジングルベルをはじめとしたクリスマスキャロルにも感激した。悲しみも苦しみも何もかも忘れてその瞬間を楽しむという楽天的なところに、アメリカ人の一面がうかがえる。
     
    共有の仕組みがまず違う。タイムズスクェアでの終戦祝賀のキスは、幾多の人々に感動を与えたことか。ご存知のように、あの二人は実はまったく知らない赤の他人。誰でもいいから、あの最高の瞬間を共有できればいい。『幸せのちから』(the Persuit of happyness starred by Will Smith)にも知らない人同士のやり取りがある。落ちぶれていた主人公は、高級車で通勤する株式会社の社員にいきなりプライベートな質問をし始める。われわれだったら、なにそれと変な視線を向けては小心翼々マイカーを見守るところだが、質問された社員はごく自然に答えてくれる。
     
    知らない人と話すなという意識は、小さいときもさることながら、大人になっても衰えることはない。うちと外の構造がしっかりできているのだ。
    December 15

    年末

    幸いにも2009年の手帳を手に入れた。というのは、日系会社人向けの手帳で、きちんとした手触りのよいものだった。めくってみると、いつものデザインで、冒頭には2008年12月、後尾には2010年1月の分も用意してくれている。待てよ、2010年!!!なんと、2010年が待ち受けているよ。そんな複雑な気持ちも一瞬脳裏をよぎった。今年も残りわずかで、境目の時がまたやってきた。いろいろあった。2008年には、もっとも期待していたはずの一年だが、どことなくそうでもないような気がする。この一年が過ぎ去らんことを願う気持ちもわずかながらあることは否めない。
     
    仕事、仕事と忙しい毎日。仕事そのものは楽しいものだが、これでいいのか、本当にこれでいいのかと自問を禁じえないときがある。果たして何のために仕事をしているのかと、いらだたしさを感じることもよくある。みんなそうじゃないか。そう、そう思ってみると、すこしは楽になるかもしれない。みんなそうだ。だから何だ?という問いかけには、容易に返事をすることはできない。みんなはみんな、自分は自分。結局何の答えも出ないまま、空想ばかりが続く。
     
    この間の授業で、キム拓がまだ青いときの番組を使った。自分への手紙。お前はちょっと有名になったからといって、うぬぼれてはならないという自分を注意するような内容のもの。小鼻をこするという典型的なしぐさを披露しながら、何気なく読み上げる木村拓哉さん。女性のファンが圧倒的多数を占める、熱気に包まれた現場。自分に手紙を書く。そんなことは、小学校の教科書に確かに載っていた。有名な科学者が何かを忘れないように自分に手紙を書いていたという。
     
    そんなパターンは、われわれの生活にも偏在している。手帳というのも、まさにそのうちに入るだろう。
     
     
    December 11

    サムー

    冬に入ってから、初めての雪だった。それも気持ちだけだったが、なんかいろいろと話題になった。降る前からも、タクシーの運転手さんは、こんな空模様じゃ、降りそうもないなと予測した。それから、テレビの天気予報を見ても、誰かに会っても、雪のことが盛んに話されていた。本当に降りだしたのは、水曜日の早朝だったかもしれない。七時半過ぎに出かけると、粉雪がふわふわ、ふわふわと舞い落ちていた。
     
    寒さに強いはずの自分だが、それでも北京の寒さをしみじみと実感できた。葉っぱという葉っぱも冬風に吹かれて、散りつくしていた。青空が今までよりも広がって見える。夕方を過ぎたころ浮かんだ月も、いっそう寂しさを増してきた。そうは言っても、果たしてそんな月に気づいた人は何人いるのだろうか。車がなんとなく多くなった。その反面、あちこちに見える人々の姿も小さくなっている。
     
    暖かいお茶、湯気の立つコーヒー、ガラスの壁、青かったり赤かったりする信号、イルミネーション…こんな風景を楽しめる人には、至福があるとしか言いようがない。そんな風景にいると、いろいろな幸せなことに思いをはせるようになるにちがいない。学校にいる人間がまたわけの分からない、贅沢なことを言っているのではないかと笑われてしまうかもしれないが、いやなことがないのではなく、いつまでもというわけには行かない。問題というのは、もともとはない。問題視するのは、あくまでも人間の仕業で良くも悪くも文句は言えないはずだ。そんな中でも、もっと楽にという選択肢もあるから、明日は明日の風が吹くと言うじゃないか。
     
    そうそう、車を買いたい友達がいて、一緒に見てくれと言われたけど、More than willing!本当に久しぶりだ。
    December 01

    ありがたき友

    言葉のすれ違いで、ちょっとした誤解やけんかになる。そんなことを経験したことはないか。この間、もっと親切なことを助言してみたつもりで言ってみたら、怒られた。それを、後から思えば、言わなくてもよかったのにと後悔先に立たず。とは言いながらも、また同じようなことを言ってしまう。向こうのためならと心のどこかでそう決め込んでいるのかもしれない。たとえそれがうまくいかなくても、たとえだれかに怒られても、それでいい。これはとりもなおさず、人事としてではなく、自分も身をもってほかのたれかのためを思っているからに違いない。それなら、いつかは分かってくれる。まあ、そんな幻想めいたことが、自分のどこかに潜んでいるからほかならない。

    永遠なる友達、C、S、G、Z…には、いつも心の奥から感謝いている。たいしたことじゃなかったが、この間のことで、みんなにご迷惑をかけたことに、いつもいつもすまない思いで胸がいっぱい。大丈夫だから、どうか心配せずに今後ともいい友達でいようとお願いの気持ち。そんな気持ちをきっと分かってくれるに決まっている。必ずしもそう見えないが、持ち前の明るさ、楽天的な気持ち、しかも看板の笑顔で歩んで行くから。

    だれかのせいにするという気持ちは毛頭ない。こんな言い方をすると、何か大変なことがあったのではないかと大げさな感じを与えないでもないが、あまり顔を合わせるようなことは珍しくても「偉大」なる友情をいつまでも忘れずに大切にしている。そんな気持ち、届いたのだろうか。

    なんだか長い文章が書けなくなったような感じがする。というよりも、恥ずかしい気持ちもあるから、それをあえてみんなの前にさらしたりしたくないのかもしれない。一応ここまで。

    Sense

    Somebody departed,without any information.Tracing the footprints,however,is not possible,since not a single footprint was made.Somebody is hurt,to the bottom of the heart.Healing the wound,thou,is believed to be desperately hard,since it is in such a havoc.People go,back and forth;people come,up and down.Everyone is doomed to encounter tens of thousands of people in a lifetime.It is yet to be doubted if anyone,was,is or gonna be for you.And the fatal one is still to come,either in a positive way or a negative way.
     
    Nobody can claim that he or she has the full picture about his or her own life.It is equally impossible for anyone to have a both broad and clear vision over the where he or she is in.That is why human being is haunted by anxieties,curiousities as well as fears.That is also why life,more or less,is so wonderful.To be,or not to be.That maybe the problems totally up to you.You are nobody`s serf,for you are served exclusively by yourself.Whether you are upset or not,content or not,bored or not,something belongs exclusively to you.Life itself should not only be the thing that tires you,but also something light you up.
     
    Take full charge of yourself.You will be compensated one day,tangibly or intangibly.There is no reason for you to halt to a stop.Life never stops.Keep on going and and going forward.
    (Don`t make too much of the above.It doesn`t make sense at all perhaps.)