| SAMTAIME's profile真夏の夜PhotosBlogLists | Help |
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February 28 Snowflakeいつものようにカーテンをかき分けてみると、一面の雪景色が広がっていた。
夜中に雪が降っていたのだ。
そしておよそ8時間後の午後になると、KFCからガラス張りの壁から眺めるともなく眺めてみると、うそのように雪がふわふわと降っていたのだ。この辺で映画でも撮っていて、人工的に雪を降らせてるのかと疑わせるような風景。
今度また眺めようとして頭をもたげて見ると、なんと、雪は止まっている。
まったくの以外だった。何もかも。
そんな中で、受け持っていたクラスの今学期初の授業が始まった。久しぶりに会ったという気持ちをお互いに持っていたのか、話に耳を傾けて聞き入っている学生たちに姿に感動を覚えた。なんといっても、人数が減ったということもなく、ほっとしたところ。それだけで、感動に値する。
先学期の授業の内容が遠くなってきたようなので、復習をいっぱいさせた。それでも、嫌がるという形相はまったくなく、ただ新学期の教科書を全部持ってきたことでもったいないことを残念がっていたようだ。
晩ご飯はいつものラーメン屋で。汗をかくほど、おいしかった。
これも楽しい一日だった。 February 27 Imagination海辺で方を並べて歩く三人の女をしばしば夢で見る。
という文を読んで、創造してみたことがあるか。いかにも想像力を誘うたくましい文ではないかと思う。
一人だとすると、自分の好きな女性かもしれない。海風に吹かれて乱れた髪をかき分ける彼女の姿がよっぽどかわいらしく映ることだろう。そして、無言の世界、いや、必ずしも無言ではない、そこに海風がひゅうひゅうと吹いていて、海猿も飛んでいるかもしれないし、それにセンチメンタルな彼女、たとえどんな筆でもこの美しい絵を描き出すことは不可能だろう。
二人でも、何か秘密話をしているのが思い浮かべられる。一方的に好きになった人が、今日話しかけてきたとか、前の彼氏に出会って、お互いに知らないふりですれ違ったとか、100%プライベートな話が交わされる。ピンクのため息をつくかもしれない。話し終わって、一人でまた悩むかもしれない。とにかく、海をバックグラウンドにした二人の仲良いところが大いに心を打つことだろう。
三人の場合はというと、話し上手な二人に聞き上手でちょっともの静かな一人という構成が望ましい。そうすると、誰かがからかわれるに決まっている。あるいは、最初にからかわれた人がもう一人と残った一人をいじめたりしてもなかなかその風景にふさわしい。かもめたちは耳も貸さずに飛ぶことに没頭するやつばかり。動的な風景と静的な風景とがきちんと溶け込んで、心を休める絵になる。
変な想像だった:)
February 26 春隣なんらかの弾みで日本語のタイトルをつけることにした。
春隣。日本語ならではの面白い言葉だろう。「隣」というと、近所とかのイメージが浮かんでくる。その同時に、生活するというような微妙なニュアンスが漂う。人を強く意識した言葉になる。隣のおじいさんが倒れたとか、隣に妙なやつが引っ越してきたとか、隣の国とはなかなか仲良くやっていけないとか、人と人の位置、そのバランスを照らし出すような感じが強い。
そして、春がすぐそこまで来ているという時期のことをさして、春隣という言葉が親しまれる。厳冬が去っていったことは言うまでもないが、かといって、春が来たというものでもない。冬と春の間の、それでも春が迫ってきているその微妙な時期。ほのほのとした日差しを窓ガラスから眺めていると、妙な幻想に沈んでしまうかもしれない。その一方で、出かけたそのとたん、着替えようかと考えて、折り返すことになるかもしれない。冬物が依然必要となる。
今か今かと期待があふれる時でもある。芽が吹かないか、青空が広がらないか、どこからともなく土のにおいが漂ってこないか、と楽しみがいっぱいある。
この二日間、ちょっとした嬉しいことがあった。今日も電話ではなく、携帯に一級に合格してありがとうございましたとのメッセージが入ってきた。決して自分のおかげだなんて決めているつもりはないが、なんとなく嬉しくなった。
:) February 25 Bliss早朝から(とは言ってもうも9時)先学期一級クラスの学生から掛けられた電話で携帯のベルが急に鳴り出し、目を覚ました。「先生、先生、合格したんです。一級に…」なんとも抑えきれない喜びの気持ちで伝えられたその知らせに、僕もなんだかちょっとうれしくなった。
それは先方にとってこの上ない喜びに違いない。自分ではもう持ちきれない。誰かに分かち合ってほしい。そんな気持ちを忘れていないか。至福の一時。自分の努力によって報いられた喜び、それはなによりも充実している。しかも体中を感動させる、不思議な力を持っている。精神への強い強壮剤にあたることは言うまでもない。
とかく人間関係がうるさいだの、プレッシャーがかかりすぎだの、文句をつけられる今の世の中だが、つらいのは、誰だって同じことだ。そのつらさにいかに耐えるかが求められる。ほんの小さなやさしさ、ほんのちょっとした掛け声によって、気持ちがずいぶん慰められるものだ。
しかし、自分にしか感心を向けていては、自分の気持ちしか強調していては、苛立ちしか、角張りしか生じてこないのに…
とにかく、合格してよかった、おめでとうと言いたかった。 February 24 Gusto午後、事務室みんな集まっての会議。新学期の初授業から二日前。
休み惚けからまだ完全に醒めていないのではないかということを思うと、なんだか微妙な気持ちになる。
とはいっても、毎学期のように心の準備をしていることは否定できない。ムードの切り替えを成功させるには、このようなちょっとした気持ちの整理も大切だ。なんでも教科書に向かってからということではなく、コンディションのウォーミングアップはどこにでもある。
いつでも走っていることは無論できない。たまには、またはそれなりの息抜きというのをしなければならない。圧縮されている生活は続くが、いつまでもというところまでは無理だ。限界。だから、スピード制限を越えた状態は危ないと同じように、ゆっくり何かをしようという意識なしに過ごす時も求められる。
Idleness,like kisses,to be sweet must be stolen.(以外に訪れてきた暇な一時がすばらしい。奪われたキスと同じように。)
計算されている生活も、たまには無計画的に生きることがどんなたいした喜びとなるだろう。次を意識しすぎていては楽しみも薄れるし、甚だしくは生活そのものに興味を失ってしまうことになる恐れもある。
だから、わずかでも自由な時間を確保して、一人で映画館に入ってみてください。友達と飲みに行ってみてください。春先吹きだした芽の青さを眺めてみてください。暖かい春風に両手を広げてみてください。棚上げされた思い出のアルバムを取り出してみてください...不思議なぐらい、ちょっとした幸せの輪が広がっていくのだから。
そして、その心温まる一幕から莫大な力が蘇ってくるかもしれない。その力で、強く生きていく勇気がもわいてくるかもしれない。
「遠く離れても 明日が見えなくても
愛を止めないで
この海の果てはやがて青い空へ続いてる
一人じゃない この胸に愛は生きている
生きていこう
愛は生きてる 」
SPEEDの「Alive」だった。
February 23 Destination目的意識。
最近は大学のキャンパスをゆっくり散策する余裕が不思議に生じてきた。余裕というのは、決して単なる時間的な次元を言っているだけではなく、精神的にもそんなムードに恵まれているかもしれない。
みんなのコメントを読んで、少しは言葉遣いに気を遣うようになった。というのは、できるだけ積極的な言い方(考え方は違うかも)を選ぶようになった。
まあ、それはさておき、いささか肌寒さを感じさせる夕方の某名門大学のキャンパスを、急ぎもせず、誰かの目つきを気にすることもなくゆっくり、本当にゆっくり散歩するのは、幸せと言っても過言ではない。もしも夕日を背中に浴びていたら、どんなに落ち着いた美しい絵になることだろう。
人が行き、人が来る。人が横切り、人が小走りする。東から西へと、北から南へと、寮を出て、教室に入る。みんな目的地があるのだ。これからのデート、これからの約束、これからの講座、ないしはこれからの自習、誰といって時間と空間の交差点をしっかり意識していない人がいない。急ぎそうな顔、緊張な顔、やる気満々の顔、まことに豊かだ。西日沈むという時間帯で、この境界でいろいろな生活空間が作り出される。
これほど落ち着いて燦爛たる風景は大学しか見られないだろう。
「ここは途中だ 景色は変わる
ここは途中だ 旅の何処かだ
ひとつだけ多くても ひとつ何か足りなくても
終わるもんじゃない」
最愛のChage&Askaの「ロケットの樹の下で」の抜粋でお結びにしよう。
February 22 What ’s wrong?何かが変わったような気がする。いつもこの「気」だが、しっかり持っているとは言えない状態だ。
変わり目のせいか。かといって、別に何かが目立った変化を起こしたということもないのに。
太陽が寛大にもさんさんと輝き続けている。冬?もはや冬なんかじゃない。それとともに、吹き付けられても寒く感じられない風もまた、春の近づきをアピールしている。
そうそう、季節の変わり目だった。気持ちを複雑にさせたのはまさにこれかもしれない。
身を切るような寒さに次いで訪れる春は、昔から歓迎されてきた。その寒さがなければ、暖かさも思い知ることがないのに。ものを言わずとも、間違いなく季節は訪れてくる。そして、季節が変わる。
人間も変わる。季節が巡るように、人間も巡る。喜、怒、哀、楽の循環を止め処もなく。だから、同じような喜びを何回も味わうのだ。同じような怒りを何回も起こすのだ。同じような悲しみに何回も襲われるのだ。そして、またつかの間の幸せを何回もすれすれに手に入れようとするのだ。
それで器が満ちていく。それで入りきれない喜怒哀楽があふれ出ることもあるのだ。笑いで、涙で...笑いも涙もなくなるときに、人間は落ち着く。
落ち着いて何も受け入れる。
そうして、受け入れることが上手な人ほど、幸せを感じるかもしれない。
February 20 Cold「暖」という映画があることを夕べの友達との会話から聞いた。
それに触れる前は、実にいろいろな映画の話をした。
タイタニック、パールハーバー等々。いずれも美しく悲しい映画だった。
音楽もさることながら、タイタニックで一番印象付けられたのは、お涙頂戴の恋物語ではない。
傾きつつあるタイタニックで、始終美しいメロディを奏でていたバイオリストたちと、ミサを続ける牧師。
這い回ることに没頭するみんなとは違って、あんな状況にもかかわらず、そこまで落ち着き払っていることは、
あまりできる人はいないのだ。98年当時はじめて見たときは、そこまで気づかなかった。
映画に対する見方は、多分変化を絶やさない。
変わらないのは、多分その味覚が細かくなることではないか。
Yesterday Once More!今日はうそなぐらいの晴天に恵まれた。つい2、3日前は真冬並みの風が吹いていたのに...
いい天気には当然抗えない。小春日和かと思わせるような日差しを浴びていながらも、気持ちも同じように晴れるとは限らない。だから、人間は複雑なんだ。天候が荒れたりすると、つい文句をつけがちでも、いい天気を当然のように受け止めるかもしれない。
朝のバスには、いつものように人がいっぱい詰まっている。しばしば切符売りのおばさんの口からは「お詰めください」との命令めいた言葉が響いてくる。猫背のおばあさんが乗ってくると、習慣のように身を起こそうとしたが、前部座席の誰かに「先を越され」て、またどっしりと腰を下ろした。
走っているバス。なんとも言えようのない気持ち。光と影のようなコントラストが、こうやって現実と心を引き裂こうとしているのを感じた。わけはわからない。
そのムードから必死に逃れようとしても、なかなか...
気にいっている言葉がある。確かHIDEさんのHPからの引用だったが、愛している人を友達としてそばに置けというやつ。なかなか見地のある考え方。じっくりかみしめないと、味わえない醍醐味があるように思われる。一生続く夫婦というのはなかなか難しくても、一生続く親友の話はあふれている。
不思議なことだ。
明日もまたどんな天気だろうね。
February 18 Indifferenceうそが一面に飛び交っていると、真実も退いてしまう。
誰かさんが暖かいかと思っていると、実は案外冷たい人だったり、本当に親切にしてくれて信じきっている人かと思えば、肝心なところで裏切られたり、こちらの恩を着ている人だから、まさかと思いながらも「飼い犬に手を噛まれ」たりして、まさに人間不信を起こしてしまうようなことは、多分そう遠くにはなく、身の回りに存在しているのかもしれない。
人がけんかしているのを興味津々に眺めたりする野次馬にも、いずれ眺められてしまうかもしれない。人が惨めな目にあったのを冷たい目で面白がる人も、いつかは同じような目に遭うのに、無関心な姿を崩さない。人が悩んでいるのを、自分とは関係ばかりに残酷にもあざ笑ったりして...
今日は人の身、明日は我が身。
人への無関心、うそへの無関心、小さな幸せへの無関心などが一丸になって、われわれを不幸に陥れている。人に関心を示さないのは、実は自分にも関心を示せなくなる。うそを見分けないことには、いつかはうそに蝕まれてしまう。小さな幸せに目を向けないのでは、大きな幸せも味わえなくなる。
そして結局は平凡で鈍感な動物になってしまう。それも自らの手で...
February 17 The Same World???善意の、そして悪意の伴ったうそ、周りにはいっぱい張り巡らされている。
今日聞いた、例のマルチ商法のことだが、違法であることがはっきり定められているはずだ。それにもかかわらず、
地下では蔓延っていると言っていいぐらい盛んに活動を繰り広げられている。最近は何かのきっかけでKFC(ケンタッキー)に通っていて、これでもかこれでもかと隣四方からおカネをまつわった話を聞かされていた。
島国の人は天気と関係のあることに没頭するようだ。日本人、イギリス人。「今日もいいお天気ですねぇ~~~~~~~~~!」とかのやつ。それが有名になっている。
それじゃ中国人はというと、まさかこれではないかと気づかされた。開口一番におカネのことを切り出すのは、あまりにも露骨ではないかな。給料がすくなくて、火の車の状況にあるだの、AMWAYを人に売りつけると、絶対もうかるだの、何かで一儲けできないかだの...中身は千差万別でも、テーマは一つ。
オリンピックのキャッチーフレーズを思い出された。
いわゆる「一つの世界、一つの夢」。
ほっほっ...素敵な言葉のように聞こえるが、なんとも中身を伴わない有名無実の文句。
そうそう、先ほど伯母さんとおしゃべりをした。ついここ15年ほど前から、中国が豹変し始めているって。昔は同じ職場で働いて、何かにつけ仲睦まじくしていた仲間だったが、今でも隣近所で住んでいるが、会うたびに交わされる会話がずいぶん短くなってきているようだ。それも、挨拶程度のことにとどまっている。以前はそうではなかった。なぜなら、ままならぬ生活に追われている人が多いと伯母さんが言う。
すると、不思議なことになる。おカネがないから、会話が活発で長くもなり、短くもなるのだ。
一つの世界を目指そうと懸命に見えるこの世界だが、決して一つではない。60億以上の世界もある。
そうである以上、どうして紛争や戦争がこの世界から消えるはずがあるだろう。
とんでもないお伽話。
February 16 Perhaps loveいろいろ酷評されているようだが、2回も見た好きな映画だ。
好きになれない人たちの言い訳。その一、音楽。なんとも当たり前のような文句をぐずぐず、ぐずぐずと並べて、メロディーをつけて、ばかばかしくしかもだらだらと歌い上げていく。いわゆるNonsenseかな。「…君が僕を愛しているから。いや、愛していると思っているから。(因为你是爱我的...我想你是爱我的)」なんだこれと腹を立てた観客がいた。Playboyなんかでもないから、あえて愛についてあれこれ言うことはできないが、人の気持ちを到底知ることも量ることもできない。なぜなら、本人にもそれなりの自信があると言い切ることは、果たして可能なのだろうか。愛している、あるいは愛されているということを信じているというよりも、むしろ、愛している、愛されていると信じたい気持ちのほうがずっと優勢を保っている。だから、愛することは、その証拠を探し続け、自分を説得する終焉のないプロセスになるだろう。
その二、無条理。いろいろな場面が入り乱れていたり、いきなり現実から撮影へ、あるいは撮影から現実へ、断りもなくどんどん変わっていく。何がなんだかわからなくなってしまう。不親切だと。この映画は二つの線から成り立っている。しかも、二本の線は平行線を辿っているのではなく、どこかで交わっている。交わっているからこそ、見事に溶け込んでいる。思ってみてごらん!それぞれを発展させずに、いちいち並べただけでは、まったくの無意味になるのではないか。
愛にも理不尽がある。愛はすべての根源だ。愛が愛を生み出す一方で、うらみも生み出す。執着も愛着も物への愛から芽生える。そこからは、貪欲も膨れ上がる。愛の喪失により復讐ないしは戦争も起こる。トロイ戦争はその典型かも。映画「Promise(無極)」も愛とうらみの葛藤作。愛がなければ、うらみも何も怒らないだろうに。
それでも人は愛する。人は恨む。だから、人は人だ。これが人の宿命だ。この宿命から逃れらレナ伊のもまた宿命の中の宿命だ。
映画館というのは、不思議なところ。映画を見ると普通に言うが、映画館のすばらしい音声、画像システムに身を置いていると、思わずその迫力に吸い込まれていく。そう、映画に吸い込まれるのだ。
映画館は人間と映画の出会いの場だが、それ以上人間と映画、もっと正確に言うと人間自信との戦いの場なのだ。 |
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