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    March 31

    余裕

    自分にとって週末なわけだから、久しぶりに朝寝坊をした。とはいっても、普段より1時間ほど遅れて起きただけだ。なんだかそのまま午前中を寝てしまいたいが、なにしろ雑用がもあって、いやいやながらも起きることに。
     
    いい天気だった。バス停でバスを待っていると、道端に桃の花がに咲き誇れているのを見た。静かにさびしく。お年寄りのカップルが二人で熱心に写真を撮ろうとしている。ほかの人は首を長くして今か今かとバスを待ちわびている様子。余裕というのはまさにこれのことかと思った。つい自分もカメラを取り出して、何枚かを写真に収めた。美しかった。
     
    そして、午後はなんとか時間を作って、一人で桜を見に行った。まだ満開ということにはなっていないが、桜の花を背景にしきりにシャッターを切っているカップルや、家族連れが目立った。週末ともなると、混雑ぶりはこれの比ではないだろう。これでちょうどよかったかな。
     
    例年とは違って、桜のほかに、もうひとつ目立つ風物があった。それは風車だった。あちらこちらでくるくる、くるくると回っていた。やはりカメラは着実に普及してきたような実感した。10年ほど前はみんな同じような簡単なカメラで撮っていたが、今はというと、アマチュアかプロかもつかなくなったような観だ。
     
    それはとりもなおさず、人々が豊かになった証拠かもしれない。
     
    とにかく、余裕を持ちながら、暮らしていくというのは、まさに人間らしい生活でなくて何だろう。
     
    March 30

    楽しみ

    今日の一日はということになると、別にこれという答えが出せないのを感じた。
     
    ただ、今日もお疲れ様だと言いたい。確かにちょっと疲れているものだから。しかも、テレビの文字もはっきり見えなくなった。目の使いすぎだ。
     
    そういえば、今日はあまりおいしいものは食えなかった。一日二食とも食堂で済ましている。野菜がメインだった。久しぶりに焼肉なんかも食べたいしなぁ~...まあ、しようがないことか。
     
    その一方でインスタントラーメンの備蓄もあるが、よほどのことがないと、そんなジャンクフードには近寄らないようにしている。おいしくてもいろいろ後ろめたい思いをさせられるから。やめとこう。
     
    そうそう、ネットでチャットをしていると、桜の話となった。来週あたりは満開だろうとの推測で一致したが、二人とも忙しいみたいで、なかなかゆっくり花見はできない見通し。
     
    それよりも、あの人波ときたら、弱ってしまう。
     
    いたずらに春の日を過ごすかと思うと、気が気でなくなることもある。まあ、いいか。いつも訪れてくるのだから。
     
    それでも、なんだかうきうきする。
     
    明日楽しみがあるかもしれない。
    March 29

    高級な生活

    舞台劇の名前だった。高級な生活というのは。見る前から男四匹の話だと聞いたから、どんなストーリかと好奇心いっぱいに待っていた。
     
    そのとおり、登場人物は四人の男だった。銀行強盗を企てていたが、結局内訌で綿密な計画にもかかわらず、未遂に終わったという話。四人とも鮮明な個性の持ち主で、首謀者あり、共謀者ある。麻薬、モルヒネ、強盗、刑務所、女、ディスコ、殺人、ピストル、匕首...挙句の果てには、血まみれというようなところに行き着く。無論。音楽も映画も交えながら...
     
    わずかな俳優と観衆との距離もあってだろうか、なかなか切迫感があった。その上、俳優四人とも懸命に立ち回っていたので、臨場感満点というところだったかな。限りなく近いので、胸のきゅっと引き締まるような感じもした。
     
    照明が消されるたびに、大きな拍手が起こっていた。それが、まもなく続く演技に飲み込まれてしまう。
     
    同じような仕事をやっているだろうが、マンネリは感じさせない。当たり前のことじゃないかと聞き返されるかもしれないが、自分もそこまでえらくはないが、同じような仕事をしているので、つい勝手に同感してしまったわけだ。
     
    ラストシーンに二人で飲まれたビールの味はどうだったかな。ただのビールだったのか。今日も頑張ったとの安堵感だったのか、それとも...
     
    いずれにしても、おいしかったに違いない。
     
    俗物根性といわれるかもしれないが、入場前の春巻きが、本当にうまかった。また食べたいけどな...
     
     
     
    March 28

    日向ぼっこ

    ここが好きだといってくれた人がいて、ちょっとうれしくなった。むろん、コメントを出さずに読んでくれる人ももっといるだろうに...勘違いはしないでよ。誰かのためにこれを毎日のように書いているというわけではないのだ。
     
    習慣。定着しようとしている習慣に駆り立てられて書いているように思われる。同じ道なのに、行くときは左側を、帰るときは違う側を近く思うことはないか。最初は選んで歩いていたのかもしれないが、時間が経つにつれて、無意識のうちに判断、というだろうか、を出して、それに沿って歩き始めるのだ。
     
    個室の中での一人の時間だが、机に置かれた置時計によって刻まれるのを聞きながら、ゆっくり、じっくり味わうのは、一日の落ち着いた幸せな一時なのだ。
     
    昼間たくさん話したこと、たくさんの人と一緒にいたこと、たくさんの想像をしたこと、どことなく消えている。いや、たまには浮かんでくるのだ。消えたり、浮かんだりで、結局はこの一日の時間としっかり結びついて、動かない思い出になる。その思い出も永遠と化していく。
     
    ところで、今日も無性に寒かった。こんな日が続くと、ストレスがたまりそう。昼ごはんの後のキャンパスを歩きながら、日向ぼっこがしたいものだ。なんでいつもそんなに風が強いかと不思議でならない。
     
    そうそう、つい一昨日会った同僚が気まぐれな話をしていた。いつまでもそんなひどい天気なら、いっそのこと、故郷のある南へUターンしたほうがいいと。
     
    かといって、天気を変えることはできそうにもないから、できるのは、せいぜい自分を変えるぐらいかもしれない。
     
     
     
    March 27

    再会

    大学時代の友達と、再会をした。
     
    いやな風による寒さや黄砂を乗り越えての再会だったが、やはりうれしかった。その友達は変わっていないような気がする。いつも汚い男子寮で話したりしていたが、あたかもそのときと同じような情景のように思えた。なかなか落ち着くものだ。
     
    鍋料理にしきりに箸を入れながら、昔話に浸っていた。あのときのキャンパス、今のキャンパス、位置の確認、あの人、この人、当時の学長...
     
    話が弾んでいた。それとは対照的に、その二人のジョッキのビールがなかなか減らない。
     
    大学を卒業してすでに6年が経っていることを気づかされたのは、まさにこの時だった。
     
    指を折って数えてみると、もう少しでまる6年になるわけだが、それほど実感できていない。なんでも昨日学校を出たばかりのような錯覚がしてならない。
     
    ところで、今日の天気といったら、まったく...そんな天気もううんざりだ。明日晴れたらと願ってやまない。
     
    そう、ガソリン価格の切り上げも話題となった。のしかかってくる物価高とは対蹠的に、給料がいつも足踏み状態にあるとは、まことに腹立たしいことだ。
     
    それでも、明日晴れてくれたら、最高だが...
    March 26

    習慣

    今日もたくさん笑った。午後の授業はやはり笑える。
     
    春なのに、肌寒さを感じさせる天気だった。そんな天気に出かけるのは、きわめて大きな試練だと受け止めている。それでも出かけなければならなかった。ほとんどが自転車での移動だが、毎日通っている道を、少々遠く感じられた。
     
    自分にとって一番遠い距離はという設問に対して、遠近とは関係なく、毎日のように通っている道が一番遠いのだという説がある。思い出してみなさい。我が家から一番最寄りのバス停までの道をそんなふうに思ったことはないか。
     
    教室まで歩行で3、5分間の道を自動車で走らずにはいられないのだ。できるものなら、ゆっくりそんな道を足で往復したいのに。それでも始業時間ぎりぎりまで急いでいる。余裕という言葉は、きれいに響くかもしれないが、なかなか自分とは縁がないように思われる。
     
    そんな生活でも長く続けられてきたのは、仕事の内容によって大きく癒されているからに他ならない。たとえ疲れはしても、それが心理的に疲れ切るということはない。
     
    別にわざと笑いを狙おうということは決してないが、それでも心からいつも笑っている。本当にいっぱいに笑っている。それによって救われているに違いない。もっとも、これも一方的な思い込みかもしれないが。
     
    人を長い間愛していると、情熱は冷めても、時間によって作り上げられた愛という習慣がどんどん支配力を増している。だから、あまり素敵とは思わない恋人(最初はそう思っていたのかも)も、長く付き合っていると、その人からなかなか離れていくという勇気も、気力もなくなってしまうのではないか。
     
    そんな人、もの、ことを持つことも、豊かに生きていくのに必要不可欠だろう。
     
    あなたにはそんな人、もの、ことは?
     

    白い巨塔

    白い巨塔という3年ほど前日本でセンセーションを起こしていたドラマがCCTV8でやっているらしい。
     
    日本語版を少なくとも2回見ているから、どうも違和感を感じてしまう。なんでも吹き替えが若すぎるのではという思いがしてならない。含みのあるドラマのテーマを支えきれないような気がしてならない。
     
    電話でこれについての話題をしていると、疲れさせるドラマだという。確かに、そんな世の中じゃ、誰一人として生きていられる人いなくなるに違いない。患者も、医師も...
     
    何でも量られたかたちで行われている。権力、幸福、不幸、何もかも鉄則で厳しく規制されている。自分の気持ちに率直になろうものなら、その軌道から脱線を余儀なくされてしまう。
     
    またまた深刻な話題になりそう。
     
    この辺でやめることにしよう。
     
    そうそう、昼飯の時に、教えていた学三人に出会った。座ったままの後姿で先生だとわかったそうだ。すごいと思った。もっと元気になってきたようなので、なんとなくうれしく思った。
     
    なにしろ、午後には四時間も仕事だから、簡単なあいさつで彼らと別れた。
     
    人間というのは、出会うものだ。
     
     
    March 24

    感傷

    不思議なぐらいこれを読んでセンチメンタルになったとコメントを出してくれた愛読者が多いのだ。
     
    自分ではそんな人間ではないと決め込んでいるつもりだが。まあ、じゃどういう人間なのかについては、深入りしないことにさせてもらおう。自分でも、よくわからないのだから。
     
    昼食の際に、同僚との天気の話で、金曜日はいつも好天に恵まれるのだと言い切っていたが、それもむなしく、午後になると、例の強風(僕にしてみれば)が吹き出して、ほこりっぽいいやな天気となった。
     
    首都博物館という新しくできたところへ行ったのが幸いだった。大英博物館の特別展が展覧中だ。4年間前上野の博物館のことが思い出された。今日も同じようなものだった。
     
    というのは、大英博物館とはいっても、イギリスの文物は一点もない(記憶が正しければ)。古代エジプト、古代ギリシア、ローマ時代、近世ヨーロッパ、アジア、アフリカ、オセアニア、アメリカというふうにアレンジされていた。
     
    ミイラも見られた。歴史教科書で写真しか見ていなかったが、中国で本物が見られるなんて、不思議な気がした。ヨーロッパのほうは、彫刻に代表されいている。一方で、アジアは仏教芸術。残っている三つの洲の展覧物からは、やはり原始的だというイメージが強い。
     
    ヨーロッパ人は、古くから考えていたのだから、今に至っても、考え深いという伝統が受け継がれているように思えた。その考えを形、ものにしようとする彼らの文化には、本当に感心した。
     
    中国人やその他のアジア人は考えないということはないが、なんでも心に秘めておくという傾向が強い。言葉や文字であらわそうという傾向はそれほど強くない。だから、内向的にできているかもしれない。
     
    というわけで、久しぶりの「目の正月」だった。
     

    夕べの宿題

    昼ごはんを終えて寮に戻っていると、電話がかかってきた。友達からの知らせだった。
     
    試験の成績が出たので、知らせようかって。
     
    一瞬は戸惑ったが、まさかそんな不出来だったのか思ったが、もしかして、その逆では?!
     
    「そんなに悪い点数でした?」口からはそんな風に聞いてみた。
     
    「心の準備をしてよ」と、もったいぶった答えだった。
     
    「い、いったい何点だった?」
     
    点数を聞いた瞬間、抑えきれない喜びが湧いてきたのを感じられた。それほど高い点数ではなかったが、予想をはるかに越えていたのだから。
    ...
     
    なんか書いているうちに、眠ってしまった。これからも出かけるので、この辺にさせてもらう。
    March 22

    CNN

    目覚ましで起こされると、風の音から、天気の荒れ模様を読んで、またかと思った。
     
    つい昨日は半そでだったのに...かといって、別にいまさらのことでもないし、あれこれ言ったって始まらない。ありがたくない風にありがたくない黄砂、すでに春の北京に溶け込んだ「風物詩」。
     
    それでも出かけなければならなかった。部屋に閉じこもって過ごせるなら、そうしていたのかもしれない。
     
    風に吹かれでもしたせいか、頭痛がやってきた。いや、酸素不足によるものだったのかも。痛み止めなんかは、ぜんぜん必要ではない。すこしゆっくり横になっていれば、すっきりするだろう。
     
    部屋に戻ると、やはり落ち着く。淡い光の下、あることないことをつづるのも、体を、心を休める、ゆっくりできる一時なのだ。ふと頭をもたげては柱時計の時間に「もうそんな時間か」と何度も何度も感銘している。
     
    そして、時間、時間、時間...というテーマになるが、満たされさえしていれば、速くても遅くてもかまわない。
     
    そうそう、この二、三日、CNNでは、Kristie Lu Stoutが頻繁に顔を見せている。かつて清華大学で留学し、いまやCNNの看板となっているアンカーウーマン。同僚たちもよく彼女の話をしている。見た目では、年の割りにしっかりしていて、落ち着いたすごい女性の一人という感じが強い。
     
    そういう側面もあって、BBCよりも、CNNを好む人が多いようだ。
     
    俺にはわからないけど...
    March 21

    時間の経過

    こんな風にゆっくりと時を刻むのを感じたことは、久しぶりだった。
     
    つい4年ほど前は、写真を撮るのが好きだった。高く聳えるオフィスビル、無表情で足早な通行人、満開の桜、名の知れぬ草、葦の生い茂る池、無精ひげの自分...何でも丁寧に取っていた。取った写真を、じっくり味わってもいた。
     
    それも、いつの間にか、なぜかはわからないが、すっかり冷めていた。そして鏡を覗き込んで見た自分の姿も、不思議なぐらい老けてきたように映った。自然年をせいにするが、そうでもないような気がしてならない。
     
    遠い国の道をあてどもなくさまよい、人、もの、ことに惹かれているうちに、帰る道を忘れてしまうことが多い。進みながら、振り返ることも忘れない人は、果たしてそれほどいるか。いや、そうでもない。
     
    そして今度は、再び北京の顔を撮るようになった。歩道橋から眺める昼の北京、夜の北京。ケンタッキーの隅から伺う輝かしく若々しい顔たち、シャブシャブで鍋料理を一心不乱に平らげるサラリーマン風の中年男性、こずえから哀れな顔を見せる夕日...
     
    瞬間か、永遠か...
     
    永遠からは安堵感が求められているかもしれないが、瞬間からは...?
     
    一続きの笑いになるのか、一滴の涙と化するのか、あるいは、瞬間を生きようというかすかながら強い願望なのか。
     
    その一枚一枚の写真は蘇ってきたかの如く、鮮やかな存在として浮かんできた。
     
     
    March 19

    あの頃は...

    授業に次ぐ授業で、暗黒な一日だった。
     
    少々肉体的にはこらえきれないところがあっても、精神的にはいつもどおり明るかった。なんでも笑いを絶やすことがなかったから。それが精神的な救いとなって、いささか疲れを解消してくれたのかもしれない。
     
    それ以外の時間を一人で過ごした。一日中もしゃべっていると、気持ち的にはたとえ友達にも話しかけられたくないものだ。じっくりと一人の時間を楽しむのが最高という感じ。
     
    外から帰ってくると、もうそんな時間。常に故郷の両親の元に電話をかけたいと思っているのに、つい忙しさにまぎれてそんなふうになっていまう。
     
    ほかに気になることも無論ある。人間蒸発かという...
     
    今日のいい天気だった。いささか残念なのは、夕日をゆっくり楽しむことはできない。果たして夕日ほど素敵な景色がこの世の中にあるのかな。
     
    そうそう、思い出した。今日の授業で、こんな文をみんなに聞かせた。
    結婚前は、たくさんのバラをもらっていたものだ。
    すると、結婚している女子学生の何名かは、いかにもそのとおりという感じで、感慨深そうな顔をしていた。
     
    それはともかくとして、そんな人生の細かい一幕一幕をなんとなくじっくりと味わい、物思いに沈むところにも、意外と幸せがあるのではないかと思った。いささかセンチメンタルにさせられるかもしれないが、それはそれでいい。
     
    少なくとも複雑な思いのほかに、心を打たれた瞬間、涙のこぼれた一時、、ロマンチックなエピソードは確かに存在していたのだから。それだけでも文句のつけようがあるものか。
    March 18

    無言なる歳月

    「痩せましたね~~!」
     
    一年ぶりの同窓会で初対面のときに、ほとんどみんなが口を揃えていったせりふだった。
     
    「それはつまりかっこいいということか。」
     
    こちらからのごまかしの言葉。痩せてきたことは、誰かに会うたびに、取り上げられる。はなはだしくは授業でほかの先生の話題になったことも...優しい言葉に違いないだろうが、なんだか回りに迷惑を掛けているような気もせずにはいられない。
     
    一緒に集まった9人のなか、それが一番目だった変化だって感じ。かといって、一番代わり映えがしないように見えるのもこの自分。教師という仕事をずっとしてきて、場所を変えることもなければ、出張なんかもない。そのまま年をとっていくように見えているかもしれない。
     
    果たしてそうかなと思ってはいるけど、口に出して言いたくはない。言えるようなことではないから。ご自分のことをも思い出してみなさい。言えることが多いか、それとも言えないことのほうが?
     
    変わったことといえば、確かにみんなの話題が集まるごとに変わっている。仕事から結婚へ、そして今度は結婚から出産へ移行しようとしている。
     
    そのような幸せな軌跡をたどっている人がうらやましくてたまらない。
    March 15

    語彙量を増やす秘法

    秘法ともなると、興味津々に読んでくれるのかもしれない。そんな狙いもこもっている。
     
    実は、今日の休憩時間にある学生から、単語を覚えるのはなかなか難しくて、どうしたらいいかという質問が出された。
    それは確かにそうかもしれない。が、果たして単語を覚えることはそんなに難しかったかということになると、そうではないような気がする。
     
    むしろ、楽しみだった。そして今も。知らなかった物事を外国語での言い方をなんらかの方法で知ると、それより楽しいことはないと思うタイプなのだから。なにしろ外国語を楽しみながら勉強してきたこと、十年以上にもなるから、そんな日ごろからの心がけがすっかり体の一部となり切っている。
     
    だから、その喜びをいつも自分で作り出すことにしている。単語、喜び、単語と続くから、少々疲れることはあっても、我慢はできる。一番の疲れは心の疲れではないかと思う。外国語の勉強は単なる筋肉労働に過ぎないと思うのだから、そんなに堪えがたいものではない。
     
    クラスでは披露しているが、なんでも手ごろな大きさのカードをたくさん用意しておくことにかかる。財布同然に持ち歩くこと。たとえ財布が取られても、その大事な単語カードが残っていることにほっとできるなら、もう結構高いところまで来ている象徴。将来助けてくれるのは、落とせる、焼ける財布なんかじゃなく、まさに自分の知識の無尽蔵だ(平凡なお説教か)。
     
    そのカードを見たいときならいつでも見られるようにすること。一時的にやっていくのではなく、習慣として恒常化させていく。難しくても、単語はあまり増えないから、わからない言葉でもひとつ覚えればひとつ減る。よって、わが身も充実していく。
     
    最後に一言:なせばなる。
     
     
    March 14

    切れた!

    授業中に切れた。そんなの久しぶりだった。確か去年の十月ごろのことだったかな。
     
    なんでもこちらが授業にやっきになっていたように思われる。まだ初級段階にあったクラスで、それでもできるだけ日本語でやるようにしていた。できる限りわかりやすい言葉選びをしながらという形で、わかってくれたような顔がなによりだった。それでもだらだら、だらだらと後ろの席でしゃべっていた男子学生(あれからはすっかり改心したと思うのだが)がいた。話をやめて、じっと見つめていた。しかも、優しそうな言葉で厳しく非難の雨を降らせていた...
     
    それが、今日の同じようなクラスで同じように繰り返されていた。なにしろ我慢し切れなかったので、険しい顔で見つめていた。そのうちに私語が収まっていくが、その一瞬嫌悪な雰囲気が流れていた。厳しい先生だなと思われていたのかもしれないが、それを気にするもんか。
     
    それもほんの短い間だった。その後もまた笑顔で説明するようになった。なんとなく持ち直ったような気がしたので、すっかりそのエピソードを忘れていた。
     
    起こった後は、さっぱりするものだ。常に起こるべきことを起こらずにいるのでは、気持ちも晴れないし、いつかはきっと爆発するだろう。
     
    人に正しいメッセージを送ること。それを怠るのも大変なことになるかもしれない。自分を曲げずには生きていけない世の中だけど、それでも自分に素直になること。それを忘れていては、その先にうつ病なんかが待ち受けているのも考えられるのだから。
    March 13

    冬遠ざかったか

    朝の授業が始まろうとするときに、「やっぱり人数が減ってきたね」という小声が上がった。
     
    つまり、授業が長くなるにつれて、面白くないとかを理由に、サボることが用意されているということのように聞こえた。
     
    果たしてそうなのかと思った。それは遅刻に過ぎず、欠席にはつながらないだろうと見ていた。交通問題がその背景になっていることは言うまでもない。キャンパスにすんでいる自分でも、ぎりぎりにならないと、教室には顔を出さないようにしているのではないか。
     
    それはともかくとして、案の定、話しているうちに、いかにも恥ずかしそうに一人一人と入ってきた。教室の空席を埋めていった。結局はほぼ満員状態になった。
     
    何よりも授業中の雰囲気が気に入った。矢継ぎ早にまじめな顔からかわいいような質問も出された。幸せってそんな感じかなとも思った。
     
    それに続いて勉強があった。その先生は発音がきれいだった。文法については今ひとつのところがあるのが少々残念だった。改めてあることを認識させられた。
     
    これからも勉強に励まなきゃと思って、すこしは張り切ったような気持ちになった。
     
    が、今日はこの辺にしておく。なにしろ疲れているのだから。
    March 12

    強風

    夕べ電話を掛けていると、何か面白いことあった?って聞かれた。
     
    あったのかな。その瞬間は本当に戸惑った。何か水面下をさまよっているような生活をしている。どこからともなく、どこへともなく、ただただ浮遊生物のように、風に任せ、波に任せながら。たとえ雨に降られても無頓着な顔をしていられる。
     
    最初は頭をもたげてあたり一面を興味深く見守るその情熱も、時がたつにしたがって、だんだんと火花と散っていく。水面に映った哀れなわが姿をセンチメンタルに眺めていたのも、何かと変わりつつある。なにしろ、そんな余裕さえ持てなくなりそうだから。
     
    ここまで読んできた方には、勘違いしてもらいたくない。そんな昔では大好きだった曲の歌詞がある。
     
    ゆっくりと、歩くのが、一番ってわかるけど、
    走らなきゃいけないと、そんな季節もあるんだってわかった。
    楽しく、楽しく、優しくて…
     
    いつの間にかまたまた例の渋い話になっているが、作者のことは忘れてほしい。これで親切なあるいは中途半端な当て推量はよしてほしい。
     
    いったん書き出したものが、もはや誰の物でもなくなる。ちょうど銀杏の黄色く透き通った葉っぱを愛でてもどの木から落ちてきたものとは詮索しないように。
     
    美しい葉っぱであれば、いつでも自由に眺めるがいい。
     
    無論、惨めな葉っぱであっても、無理にもてあそぶふりをしなくて結構だ。
     
     
     
    March 11

    黒い雪

    待つ日々。
     
    その一日一日が楽しみ。とは言いながらも、なかなか抑えきれないような気持ちがしないでもない。何をどのように待っているかということも、自分ながらはっきりわかっていない。
     
    何かがやってくる。おととい夢見たことかもしれない。いや、ひょっとすると、先月かも。それでも違うような。去年、十年前に遡ることも可能だ。
     
    待つうちが花。これほど知恵に満ちた言葉はない。何かを最終的に手に入れられれば、それだけ十分幸せだが、それとは別に、その終着点へ通じるまでの長い、長い道のりを楽しみながら行くに増したことはない。
     
    これについて、「コロンブスの卵」というのはまさに、正鵠を射た表現かもしれない。「べき」のつくことは、日常生活においては、あまりにもたくさんあるのだ。勉強を頑張るべきだ。テレビのつけっぱなしはやめるべきだ。朝寝坊もほどほどにすべきだ。隣の人と仲良くやっていくべきだ…
     
    しかしながら、いくら強く決意しても、勉強を怠けがちだし、テレビとにらめっこになってしまうし、休日のほのぼのとしたかわいいひざしを浴びて布団からは這い出せない…そう、人間関係か、それを一方的な情熱だと決め付けて、挙句の果て、人を怒ったり、人に怒られたりで、悪循環の続き。
     
    いわば、夢は卵のようなものだ。ぬくもりをもって辛抱強く孵していかなければ、卵は永遠に卵であることを運命付けられる。空想だけで、一時的な情熱だけでは、か弱いながらも殻を破ってくるヒヨコは見られないはず。
     
    おいしい卵でい続けるか、それでも新しい希望の光に旅立つかを、決めているのは、一体誰なのだろう。
     
    March 10

    風とともに、黄砂去らず!

    このようにパソコンに向かって執筆するのは、まさに久しぶりだったようが気がする。
     
    一日一本と強く決意したのに、つい時間という敵にはかなわず、一週間以上も怠けてきた。初心を貫けなかった自分がどうかしていると思うのだが、原因はと聞かれたら、第一に挙げるのは忙しさに決まっている。
     
    そう、時間がない。言い逃れするかのように聞こえてしまうが、実にそうだった。何かできたという達成感もないまま、ただただいらいらした毎日を送り続けている。なぜいらいらしているかは、お答えし兼ねるから、控えておく。自分もよくわかっていないのだから。
     
    風に黄砂という北京ならではの最強のコンビがやってきた。暖かいひざしを浴びて春の来たことを歌いたいところだが、これだと、どうもその気にはなれない。
     
    故郷では、晴天の下、早くも柳の細い枝に芽が吹き、道端に名も知らぬ草花が一生懸命色を変えようとしているところで、元気づけてくれるだろうに。まさに完璧という言葉を思い起こさせてくれる。
     
    しかし、ここ北京は物足りないというか、春の実感がなかなかない。だって、冬物のコートで身を包んでいる老若男女がいたるところに見かけるし、春の喜びという雰囲気が今ひとつだから。
     
    風による置き土産、黄砂。もう…言葉が出ない。
     
    そんな中で、我が家に閉じこもるのは、何より快適だ。静かな音楽を流すがいい。思いに沈むがいい…学生が出してくれた作文の添削で、ちょっとした面白いことで、吹き出すのもなかなかの楽しみ♪
     
     
     
     
     
     
    March 01

    寒流来襲

    雪も振り終わって、本番の春が来るかと期待していたが、外れたみたい。
     
    春にあって身を切る寒さだった。手袋、マフラー、コートが増えてきた。それでもシャツ一枚にコートのはだけた少年がいた。こちらが寒そうだと感じられるぐらい風の中を突き進む。
     
    なんといっても、おしゃれな姿が目立って多くなったのが明らかだ。ちょうどう競走の直前といった感じで、今にも春にラストスパートをかける勢い。
     
    いつも時間がないと言い訳を作っているが、今日も汚れた(というよりも、しわが寄っていて、どうも気にいらない)ズボンをクリーニングに出したら、糸の黄色がズボンの白にしみてしまう恐れがあるとか、もう一本のズボンのしみは洗い落とせないとかと言われた。それじゃ、なんでクリーニングなんかを看板に出すだと反論したくなった。結局は、やめることにした。
     
    何しろ、まことに時間がないのだから。洗濯機は頼れない。機械は機械だから、限界があるんだなとあきらめている。
     
    そう、模擬活動ができても、創造活動にはまだまだ人間のほうがよほど優位に立っているといわざるを得ない。
     
    そういえば、友達に言われたことがある。ここの文章を、その友達が試しにGOOGLEとかの翻訳機器に訳してもらったら、意味不明な訳文が並べられた。
     
    外国語で食っているものだから、それを幸いに思わなければらないと思う。
     
    人間は人間だからな。