| SAMTAIME's profile真夏の夜PhotosBlogLists | Help |
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March 29 ほどほどに放課後、クリーニング屋さんに行った。混雑した三環道路を、自転車で縫うようにして進んで、3分も経たないうちにいつもの店に着いた。気づいた店のお姉さんが笑いかけてくれた。親切なお姉さんで、こちらのわがままで、たまった洗濯物を明日までできるようにと無理に頼んでも、応じてくれたりする。なお、中一日、中二日というのが普通なのだが。
汚れた箇所のチェックとともに、日常的なあいさつから、おしゃべりを始めた。雨で仕事の量が一時的に減ったという。ほかのみんなは?と聞いてみたら、今日の分の仕事が終わってみんな帰ったと。休みの予定だったにもかかわらず、返上で働いているらしい。なるほど、洗濯物を依頼するたびに、このお姉さんが受け付けてくれることがそれで多かったんだなとも思った。
働くこと。生きていくための手段としての仕事だったりする場合が多いが、仕事を自分なりに楽しみながらずいぶん充実した毎日を送る方も多いのだ。だから、仕事中毒、過労なども少しは理解できなくはない。『白い巨塔』にも、大学病院内での新薬販売に精を出して、休まず結婚せずに、教授を相手にたとえカラダを売るようなことも惜しまずに働き続ける抗がん剤会社の販売部員の女性がいた。洗面所の鏡に映った青白い自分の顔に、「老けた」と言いながらも、気を取り直して医師たちへの宣伝に集中する。そんな中で倒れてしまう。検査したところ、もはや教授もさじを投げるステージ4という宣告に接する…
仕事好きでがんばり屋の人の数は決して少なくはない。そんな人たちに、のんびりするということは、どういうことなのか、たまには考えてみる必要がありそうだ。 March 28 知ること燦々たるひざしの中を行った公園に着いたら、すさまじい風が吹き出した。寒いとも快いともつかないような風だったので、なんとも言えないような気持ちで、人ごみにもまれながら、先へと流れていくばかりだった。中国人、外国人半々という感じだった。もっとも、自分もオーストラリア人の友達と一緒だった。
杭州で知り合ったこの友達は、数十カ国への旅を重ねてきただけでなく、顔もニコラス・ケージ似で、いろいろ面白い話を聞かせてくれた。賞で得た商品券をあの手この手で売りさばき、現金な一人の日本人のことも話題にのぼった。南アメリカでスペイン語をなんとか話せるようにできたこと、アメリカのニューヨークで警察として働いたこと、そして、あちこちの繁華街で変な商品やサービスを売りつけられた経験、さらに方向のセンスがなかったばかりに、隣の町へ行くのにタクシーを拾ってしまったことも…
感心するばかりだった。平日働き続け、週末ではパーティーに浸りっぱなしという型に嵌った一週を永遠に繰り返していくということは、安定感を与えてくれることは否めないが、果たしてそれでいいのかと自分に問いかけてみないことには、自分を隠すとともに、自分を失ってしまいはしないか。
汝、己を知れ!簡単なようでなかなか実行に移せないことだ。人を覗くこと、実に淵を臨むがごとし。それ以上に、自分という存在の深さが本人に知られていないことが多いのかもしれない。
March 27 東京ラブストーリ丸一日働く暗黒な一日だった。とはいっても、時間的には確かにそうだが、気持ち的には決してそういうわけではない。今日もたくさん笑った。
そうそう、この間の文章に対して、友達はずいぶんありがたいコメントをしてくれた。朝食の時にパンとかじゃなくて、ギョウザだったと。それとは別に、大学時代にも、そんなエピソードがあった。服に関する単語の勉強のときだった。コート、ワンピース、シャツと、それに見合う動詞なども覚えさせられていた。面白いのは、上着と下着だった。上着とは外套のことだから、文字通りに理解すると、下着は当然「ズボン」などと結び付けて考えられる。その友達は、スカートを着ていたから、みんなの前で、「下着を着ていない」と言って、みんなをびっくりさせた。
その後、ぴんと来たそのクラスメートは、一瞬にして、真っ赤な顔になった。
さらに、自分のことだ。バスのことと大体同じ時期で、東京ラブストーリというのがはやっていた。日本語がとても上手だと憧れていた先輩たちが、それを口々にしていたので、ちょうど日本人の先生と話す「チャンス」があって、苦手な分野なのに、「東京愛情故事」と切り出した。
「何それ?」と何がなんだかさっぱり分からない先生が、一生懸命に言葉の意味を当てようとしていた。
すると、次の瞬間、ぱっと思い出したかのように、
「あっ、東京ラブストーリか!…」
穴があったら入りたいぐらいだった。
March 26 バベルすさまじい風だった。代表的な北京の顔の一つだ。幸いなことに、黄砂を伴ったものではない。映画館を出た時の天気だった。がらんとした映画館の中で、カップルなんかに変なまなざしで見られていた。それでも、自分なりに楽しんだ。
見たのは、BABELだった。ブラッドピットの熱演ぶりがうかがえ、緊張感が満ち溢れた作品だ。アメリカ、メキシコ、モロッコ、日本と、レンズの向こうがしきりに切り替えられる。テロリスト、イスラム教、高層ビル、電車、禿山、荒野などが交互に浮かび上がることで、グロバリぜーションとは何かを情熱的に説き明かしてくれる、視覚と聴覚に力強く訴えてくる秀作ではないかと内々思う。
今でも深く印象に残っているのは、終わりのシーンのヘリコプターだった。救助のためにやってきて、空一面を埃っぽくするヘリコプターを、村を挙げて敬礼をするが如く眺める村人たち。黄色い砂嵐をものともせずに人々は、あたかも天を覗くかのようにヘリコプターから目を離せない。招きもせずにアメリカ人が現れる。駆けつけてきた医者を前に、負傷者の女は、いやとばかりにその救助活動を拒もうとする。救ってもらいたい。一方、救ってやりたい。にもかかわらず、結局は一方的な交流にとどまってしまう。
BABELとは、聖書に登場する、天国に通ずる巨塔だ。天国へと切実に願う人たちのための塔だが、人類のコミュニケーションに役立つ言葉による交流を不可能にしてしまう。この塔を頼りにする人類は、上へ上へと上り詰める前に、誤解、不審だらけの世の中を生きる惨めな運命を与えられる。
それでも、立ち去るヘリコプターをじっと見守り、追いかけまでする村人たちを待ち受けるのは、いったい何なのか。 March 25 外来語外来語が話題にのぼった。というのも、日本語には、外来語が大きな存在感を示しているからだ。中国語にも、無視できない流れができている。それでは、英語はどうかとなると、英語の外来語辞典というのは、まず聞いたことがない。
日本語を教えていると、外来語で頭を悩ます学生は、少なからずいることに気づいた。そもそも、日本語は単語の数が多く、一級だけでも1万語以上あるとされていて、覚えにくいということは、理解できなくもない。日本語の外来語は、英語の力にかかると言っても、たぶん過言ではない。圧倒的多数を占めているのは、まさに英単語だ。
それで大丈夫かといったら、必ずしもそうではない。言語には、ルールというのがある。反面、特例というのも同時に存在する。単語を組み合わせると、言葉の数は無数にある。これは、数学で証明済みの命題だろう。外国語を勉強するということは、例えてみると、大航海することに匹敵すると言っても言い過ぎではない。海を行くからには、方向や技術が当然必要だ。それに、根気も欠かせない。
外来語辞典があると、便利だと電子辞書をほめたクラスメートも確かにいた。一度も賛成したことはない。外来語の辞典が成り立つとは思わないから。毎日たくさんの新しい言葉が、映画の名前や人名などが出てくるので、収めようにも収められない。大切なのは、追究していく心。 集中昼寝などしていないのに、なぜか目が冴えている。コーヒーが効いているかもしれない。が、それが問題ではない。久々の博物館への旅が実現してか、浮ついている。なんといっても、天気がよかった。そんな快晴は、ここ一ヶ月なかなか見られない。寄ってみた公園も、入るわ入るわ、人であふれんばかりだった。
桜の花はいまだ咲いていない。カップルや家族連れが目立っていた。足に任せて歩いてみたが、そんな人出だと、どうしようもないと思って、出ることにした。途中で見た湖面には、無数のボートが浮かんでいた。帰りの船を待とうと、またたくさんの人たちが並んでいた。そんな盛況はじめて見た。そんな中で、一番活躍しているのは、やはりカメラだった。デジタルのほうが圧倒的に多かった。
博物館の時も、入場者たちはしきりにシャッターを切っていた。帰ってしっかり見ようという願いを込めてだっただろう。それで一生懸命写真旅行で疲れない昔の日本人の姿を思い出した。日本語の勉強を始めてまもない時のことだった。
日本語はほとんどできなかったが、日本人との交流のチャンスを大切にしていた。一緒に動物園、市場、デパートなどへ行っていた。揺れるバスの中で、中途半端な日本語で「つぎにおりま~す」と言ったのも覚えている。話したいことが話せない。聞いた日本語は理解できない。読んでも意味が分からない。それでずいぶん頭を悩ましていた。それでも、あきらめずに頑張っていた。いつかは、という願いを込めながら。
それが正解だったことは、言うまでもなく、それと同じく、集中しなければならないといったことは、もっとほかのところにもあるのではないか。
SicilyFor weeks,I had been planning a trip to the mountain for a relaxation.However,it never seems easy to me.One Monday afternoon,I could almost turn it into reality while in the end,the lengthy meeting prevented me from doing that.Realizing that it was just ruined,I took project B of visiting the museum.
Unfortunately,it turned out that the museum was closed due to the visits of the representatives from across the country.Last time I paid a visit to the museum was about 1 year ago.I just felt like walking around that day,potentially because that I was not willing to stay home.Living alone for a long long time must have driven me choking or I would not have the strong feeling of taking a walk outside the university.
It was sunny today and I had no lessons until 4 PM.I got up early in the morning and kept working without a rest although it was weekend.For the present time,working hard remains the top agenda for me.With regard to my feeling,I've got nothing to blame about.All my work is based on the willingness.Actually overloaded and tired for me sometimes,the desire of escaping just gets stronger and stronger.As a result,when I am off,I'd like to take some time to give a visit to my favorite haunts,such the coffee shop or the museum as well as the cinema.
I seldom shut off the power of my cell phone since you can barely live all the time for your own.However,I prefer not to answer it whether it is urgent or not.By getting lost this way,I can enjoy my private time so that I have plenty of time and space to give a fresh look at what I did,what I'm doing and what I'm gonna do.Pondering over this kind of stuff sounds dull to some extent to some people,I,on the contrary,stick to the necessity.
Few articles were on exhibition and it consists of photoes and video recording of the beautiful sceneries of Italy.It was more like a huge book rather than an exhibition,a wonderful book with colors and sounds that you can walk on and on.What a interesting guide book. March 19 タイムタイム誌と、ニューズウィーク誌を、国内でそんな手ごろな値段で入手できるということは、今まで知らなかった。雑誌中の雑誌というイメージの両誌を、数年前日本の本屋で偶然めくってみたことがある。それも、なかなかそのときに手の出せるような値段ではなかった。
それでも、国内では、どこの雑誌売り場でもないので、まあいいかと半ばあきらめた気持ちで、香港とかならばきっとなんでもあるに違いない。ここ数年、中国の雑誌も確かに数といい、質といい、進歩してきたことは、周知のことだろう。せいじたいせいなどの問題もあろうか、どことなく高いビジョンでのざっくばらんとした文章が見られないのも、それなりの理由がある。
それでも、こんな環境のもとにあっても、ジャーナリストたちがその一線を守りながら奮闘している姿が読み取れる。国際化、国際化と叫ぶなかでも、自分のことにしか集中できないのでは、本当の国際化とは呼びがたい。国際などの記事も確かに新聞などの一部になってはいるが、ロイター通信、AFPなどからの転載が目立つ。徹底的な視点での分析は、なかなか…
ところで、寒い一日が続いていた。雨もばらついたし、これで冬の足取りも着実に遠のき、その代わりに春の存在感も確実なものになる。今日ベランダから見下ろす柳の枝も、目に見えて緑がかってきた。 March 18 もらい笑い気持ちと雰囲気。互いに影響を与えるのだということは、知らなかった。まったくとは言わない。なぜなら、両者が微妙な関係にあるのは、いつからともなく知っていたのだから。わくわくした気持ちでパーティー会場に駆けつけると、とことなく変な雰囲気だと、だんだんと冷めていくだろう。パーティーそのものよりも、なにかを楽しみにするということは、すばらしいことだ。
時には友達に、今日の授業に面白いことなかったかと聞かれる。そんなときにどう答えたらいいかさっぱり分からなくなってしまう。というのも、つまらない授業ばかりだということでは決してない。すくなくとも、自分はそう思わない。むしろ、その逆のほうが適切だと言いたい。授業中は笑いころげることが多い。当然ながら、馬鹿笑いもなければ、作り笑いでもない。この仕事には、それがふさわしくないのだ。本当に面白かったから、笑った。そんなことが授業中には、いっぱいある。
それでも、それを再生することは、なかなかスムーズに行かない。人のものであれ、自分のオリジナルなものであれ、ユーモアの二番煎じはしたくない。いつも新味にあふれたものを追い求めるように心がけている。
たまには、移り気だと言われる。確かにそんな一面があるかもしれない。常に新しいものにひかれてしまうから。なにかで安心してしまうような感覚は、めったにめぐってこないような気もする。はたしてこれでいいのかどうかも…
そして、今日は六時間の授業を前にしたときは、どうしようかなという思いもしていた。案外楽しかった。滅入りかけの気持ちもいつしかさっぱりしてきた。いい感じだった。 confusionFar away from the distance,the feeling of being lost glooms.Almost all the times,I am convincing myself to get rid of certain negative emotion which appears so overwhelming that I nearly lose control of myself.I thought I made it.
However,that is,obviously,not ture.Occasionally,I was just depressed to do anything else.I kept focusing on the THING I wish I had never undergone.Hundreds of thousands of times,I told myself it do me no good at all.Neither should I be concerned about the past.Being held from what happened to you can not be more boring.All I should do is to
appreciate today and look forward for tomorrow,praying that everything is gonna be OK.
Nevertheless,to do is quite another thing.There are two kinds of people prevailent in the world:the ones do everything without thinking it through and the ones spend almost all the time thinking without practicing.It doesn't matter which one is happier,for both of them are happy.On the other hand,there also are some who combine them together,doing with constant thinking,about whether it is correct or not,moral or not as well as how the future looks like,etc.
Instead of thousands of years thinking about itself,humans are still at a loss about what exactly they are.life is transient,while being alive is an eternal theme. 来る日も来る日も残念ながらも、例のことからの再起は、程遠いとしかいえないような状態にあることを、いまさらのように感じ取った。それにはOKを出したと思っていた。そうではなかったのだ。なかったことにと、水に流そうにも流せないのは、本当のことだ。
新しいクラスの作文の授業がいよいよスタート。経験がなくて心細いというわけではないが、なんだか胸がときめく。ついこの間、同じく教師の同期と世間話をしていたら、エネルギッシュだといわれた。その日はたまたま一日中授業の後にコンサートを控えていたから、本当に変化に富んだ暮らしをしているねって。自分なんて、仕事と些細な家事とで精一杯なのに…
それは結婚して家事に追われるのは当然だろうとこちらから言った。誰かに近況を聞かれると、なによりも先に口に出す言葉は、忙しい。何がどうだというようなこともしていないのに、とにかく忙しい。仕事ももちろんその一部だが、これと平行線を辿っているような些細なことも存在感をアピールしている。
旅をしているような毎日。それは繰り返される毎日にもかかわらず、新鮮な毎日でもある。先もさることながら、明日さえもはっきり見えない。したがって、不安は当然つのる。それでも、それ以上に何かスリリングなことが絶えず見え隠れしているような気がしてならない。だから、楽しみだ。だから、体は疲れても心は疲れない。
その忙しき日々を振り返ってみると、そのナニカで紛らわそうという企てがあったのかもしれないなと感じた。いや、そこからは、名も知れない新しいもの、新しい力が湧いてきているようにも思われる。
明日も暖かいひざしが満ち溢れることだろう。 March 07 集まり友達みんなで楽しみにして喫茶店のお姉さんに冷遇された。ろうそくの日をつけてくれないかと愛想良く言ってみると、「当店は二回付けないこととなっている」というわけの分からない返事が返ってきた。そんなはずがないと、もう一度言ったところ、なんと、「いいから、待っていろ」との生意気な口調だったので、一同はあきれた。
ここに来るのではなかったと思わないでもないが、店に入ったてまえ、それに、それを一々気にしていると、きりがないからと、ほかへ行くのをあきらめた。北京のサービスが悪いというのは、周知の通りだ。なんでも気にすれば、生きていけないのではないか。これも、生活上の知恵だろう。
マネージャーを呼ぼうとする人もいたが、結局は泣き寝入りすることにした。なかなかみんなで集まるチャンスがないので、そんなことで雰囲気を傷つけるようなことは、今度だけはよそうと。
それでも、話が弾んだ。それほど客がいなくて静かだった部屋も、大きな話し声や笑い声で活気付いてきた。というのは、あまり正確な表現ではないかもしれない。なぜなら、静かさを楽しもうとする客も当然いただろう。かといって、喫茶店で何も話さないというのも、なんだか不自然だろう。まあ、いいかと人への少々の迷惑を気にしながらも、静かな時間の流れに、笑いが絶えなかった。
そのお姉さんの乱暴な言葉遣いにかじりついていたら、そんなふうにはならなかっただろう。 March 06 君と空との間授業の合間、英語の先生とちょっと話を交わした。同じ年に学校に入った仲間で、結婚して所帯じみた彼女は、こんなにハードな時間割とは、まさに若くてエネルギッシュなことへの証拠だという。できたことならと心のそこでは思っても、口には出さずにただただ笑い飛ばした。
誰かを理解し、そして理解してもらうことは、なかなか難しいことだと思う。プライバシーが強調されればされるほど、それが難しくなる。人と自分との境界線をはっきりすることがその前提となる。そうすると、人を自分の世界に招じ入れないばかりか、人の世界に立ち入ろうという意識も自然薄れることだろう。なぜなら、お互い様だから。
そして、妙な質問もされた。博士に進むのではないかと言われて、何がなんだかすっかり分からなくなった。そんな話をした覚えもないので、すっか五里霧中だった。
そして年上の先生と食堂で一緒に食事を取っていると、身の上の話をいろいろ聞かれた。毎回そんなことになるという感じがしたので、なんだかいえないような気持ちになった。失礼だと思われても、なんとかごまかしてその場を逃れた。
かといって、食堂だからそんな話は十分ふさわしくはないかとも思った。 March 05 雪解け初出勤の日だった。これで休みモードから、働きモードにすっかり切り替え。いつものように教室に入り、チョークを手にするわけだが、なんだかじんじょうではないというようなことも、淡いながら、感じ取ることができた。
一見したところ、みんな勉強熱心なことがすぐ分かった。授業中もついてきてくれたし、まじめに考え、積極的に質問に答えてくれて、助かった。土台作りということだから、午前いっぱいでようやくあ行からざ行までやった。
この間のぽかぽかした天気が一転して、昨日、今日と、なんと寒風が吹きまくり、凍えるような日が続いた。ほっとするような気もした。なぜなら、この間、温暖化、温暖化との声がやかましくて、杞憂でもすこしは気が気でなかった。
それよりも、何人かから、めでたくも一級に合格したという。その声には、抑えきれないような喜びが潜んでいる。おめでとうという心からの返事を出した。人と喜びを共にするということは、本当にすばらしいことだと思う。
話が前後するが、図書館に寄って、受付の先生としばらくおしゃべりをした。仕事、家族、結婚などの微妙な話題に触れさせられた。それは理解できないことでもない。そして、夜友達と食事をするときも、春節で帰省中でも、年明けの職場でも、お見合いの話が持ちかけられたという。
そんなことなど、なるから。いつかは。 March 04 アメリカドラマ半分ほど書いていたが、パソコンがいつものように、なんのきざしもなしに、フリーズした。もう悔しいの何の。
今日の雨から、傘のことについて書いていた。どこかで言及していたのかもしれないが、天気予報を信じずにかさを持つ習慣もないものの文句だった。とにかく、一日の雨で本当にうんざりした。いくら雨が少ないとは言っても、快晴に続いての雨にはさすがにまいった。
天気の話題よりも、映画、ゲーム、ドラマのことをよく口にするのは本当だろう。バスに乗っていると、若者たちがレッドアラート、鉄拳、アシモフなどに夢中になったりする。同僚とか一緒に集まると、話題の連続ドラマの最終話について熱を上げている。食堂での話題にも、あの映画の上映はいつ?とかで始まることが何回か。
最近はドラマにはまっている。それも日本や韓国ではなく、アメリカのドラマ。24というタイトルだった。アメリカのテロ対策本部LA支局を焦点にしたドラマ。一日中不眠不休で働くというところにいささか違和感を覚えないでもないが、ストーリーがとにかく見る人をいらいらはらはらさせてしまう。見ないならともかく、いったん見始めると、一日不眠不休で見てもいいようなドラマ。この以外にも話題の作品が多数。プリズンブレーク、ヒーローズなどは最近の話題作だろう。
帰省時の列車でも、周りの人がプリズンブレークをノートパソコンで興味津々に見ていた。
そして今度は、中国の大部分のドラマを見ると、なぜ今までそんなふうに見てきたかと不思議になることだろう。韓流ドラマだって、なんだか見向きするかいがなくなる。
まあ、とにかくいろいろ見ることだ。信じるかどうかは別として。 Be the oneLiving in Beijing gets you lots of convenniences,among which is the nearly unnecessity of bringing umbrella with you whenever or whereever you go out.My father told me that it rained in Beijing before I took my trip back to hometown.Having the son living in the urban cities such as Beijing really makes my parents closely concerned about the changes of weather.The last programme they will miss is the weather forecast on CCTV-1,right following the 7 o'clock news,which is surprisingly by the people in the rural countrysides.
They are willing to say something like "according to the television...",having little doubt on it.In fact they barely have the access to verify what is said by the programme.That remains a mission impossible.The recent one is that people in Beijing took little difficulties in perchase the tickets allowing them get on the train back home this year,even thoug the population taking train grows bigger year by year.
For the one have been undergoing and just have experiencing what happens during the process,I can tell with full confidence that it is NOT the truth. Buying a ticket home is a painstaking and time-consuming job,frustrating you sometimes with the idea that you are not going back home every year.
However,the road home continues.You don't have the power to confront with the loneliness brought by the strong tradition.Almost all of your friends go back to their hometowns.There may be someone remains in the city.Nonetheless,at the thought of the possibility that he or she also have loved ones to stay with,all you have to face is utter loneliness,which will make you sad.
Eventually,it turns out that you are not strong enough face the reality of being yourself and a voice calls in your mind:
"Go home!"
March 02 タンポポいよいよ新学期。本当に長い冬休みだった。春節を挟んでの休みだったので、なにかとせわしかった。恒例の大移動だけでも、ずいぶん怖い思いをしていた。中国のことだから、何でも人が多いとの一言に尽きる。
北京に戻って会う人ごとに、焼けて痩せたねとのお決まり文句。どこか旅行に出たのではとの推理もあった。いや、ただ家にいただけだと。それに続くいぶかしげな顔。それは結構なことだ。
そうそう、ベランダの窓ガラス越しに見る木立から、着実に春の訪れが分かる。バス停での様々な服からも、その様子が一目瞭然だ。もはや冬ではないということが言えるような時期だ。いつもと同じように、自分はその急先鋒だ。それは言い換えると、寒くはないかと人を心配にさせるような者だ。自分も自分で、人の厚着(?)に対して、熱くはないかとの考え方から離れられない。
今学期の時間割なども確認してきた。いつもどおりだが、なんかその瞬間、さて、いくぞと気が引き締まったように思える。繰り返されるような時だが、心のそこからはそうはなりたくないと願ってやまない。ぱっとしないようで新鮮なような時間の流れ。が、ありふれた毎日からは、その逆、新鮮なようでぱっとしない何かが返ってくる。そんな微妙で、なんとも言いようのない気持ちがする。
そして、まもなく新学期ということになる。
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